- 史跡散策 feat. 神於寺 -
- 2014/2/6 -






昭和49年/1974年産まれの管理人、今年遂に前厄の年になってしまいました。そこで水間寺へ厄除けの御祈祷へ行った帰り、岸和田市神於寺(コウノジ)へ行ってきました。神於寺に関しては岸和田市役所のホームページに下記の通り紹介されています。



神於寺(コウノジ)



神於山の南麓に位置する天台宗寺院。神於山は古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。かつて当寺に伝わった神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。また、修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として発展しました。中世にはしばしば戦場ともなり、織田信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。   住所:大阪府岸和田市神於町   交通:JR阪和線東岸和田駅下車、白原車庫行きで神於下車徒歩5分



さてなぜ神於寺へ行ったのか? その理由は我が貝掛の地名の由来にちなみます。

地名「貝掛」の由来



貝掛とは昔、盗人が葛城村神於寺の宝物である法螺貝を持ち出して当地を過ぎる時、吹きもしない法螺貝が勝手に鳴るので恐れをなして貝を松に掛けて去ったという貝掛松の伝説によります。その貝掛松は明治29年5月の大風に倒れて、今はそこへ石碑が建立されています。



そーなんです! 貝掛の「貝」は葛城村(現在の岸和田市)神於寺の「貝」なのです。貝掛から直線距離で約20km。現在の神於寺は神於山のふもとに静かにたたずんでいますが、神於寺の宝物である「法螺貝」は今でも存在するのか? その点は解りません。










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