- 史跡散策 feat. 種河神社 -
- 2014/3/5 -






往時荒尾山(童子畑)に祇園天皇(素戔嗚大神)を祀る殿舎があり住民の崇敬篤った。

天文十四年(一五四五年)の春に天然痘が流行し、当社の祈祷した護符の効験により病勢が治まり庶民の崇敬が篤かった。

しかし天正十三年(一五八五年)豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為社殿を建立し奉遷する。

その後三谷荘内(新家)で種々の争論が起こり長く和解できず元和六年(一六二一年)月光院の住職・浄月清花師の奔走・思案により祇園天皇・樫木権現(龍王)・千森の明神(丹生大神)を合祀し、社殿を建立荘内の総社とすることにより、和睦を図ろうと住民に諮るに賛同をえ、元和九年(一六二四年)社殿が竣工京都御室仁和寺より種河明神の神号が授けられ明治時代に種河神社と改名されました。(拝殿に菊の紋あり)

【新家三本松の由来】 この争論の和平の祈念として荘内の長老三人が松を植え幹を結び合わせた所、幹は結合し一幹となり末は三本となる。新家の三本松として史跡に指定されています。