- 史跡散策 feat. 皿田池之跡 -
- 2021/8/28 -






先日、阪南市役所の裏にある垂仁天皇の皇子、五十瓊敷命(イニシキノミコト)の古墳について興味深いお話を聞きました。そこで改めて「史跡散策」と題して皿田池について調べてみました。






史跡散策 feat. 皿田池之跡

ここは皿田池の跡である。古くは延喜諸陵式にいう十一代垂仁天皇の皇子、五十瓊敷命(イニシキノミコト)の宇度の墓と伝える前方後円の古墳であった。約三百年前、尾崎村の用水池に改修して皿田池と呼んだ。更に明治六年、補修の際後円部を縮小し、中島を残しその微証としたが昔より伝説が多い。皿田池は東西二百米、南北百八十米、面積凡そ二万平方米あり、中島の松のみどりは堤の柳桜とともに、四季折々の風情を添え、憩の適地として久しく町民に親しまれたが、時代は変転し、たまたま南海町より綜合運動場に転用の要請があり、皿田池の関係者一同その趣旨に賛同、ここに多くの物語と人々の愛惜の情を秘めて、伝説の皿田池は町民の心身練磨のスポーツ施設となり、時代の脚光を浴びるに至った。よって中島に宇度の神の社を建立し、この碑に由来を記して後世へのしるべとする。




▲ 場所はココです (クリックすると拡大します)。



▲ 石碑の裏面、文章は読めませんでした。



▲ 中島に建立された宇度の神の社。