- 史跡散策 feat. 山之井遺跡 -
- 2021/12/1 -






先日、仕事中に「山之井遺跡」と言う遺跡を発見、後日一眼レフカメラを携えて撮影してきたので「史跡散策」と題して山之井遺跡を御紹介しようと思います。ただ残念ながら記念碑の辺りは草や木が生い茂っていたので綺麗に記念碑を撮影できませんでした。






史跡散策 feat. 山之井遺跡

「山之井遺跡」の碑の由来は「日本書記」、「古事記」の神武天皇即位前紀の記述によります。それは神武天皇が九州の日向(現在の宮崎県)より大和平定をおこなったとき、長髄彦と河内国の孔舎衛坂で戦ったときの伝承から由来しております。

この戦いで神武天皇の兄の五瀬命が手に矢をうけ大けがを負ってしまいました。神武天皇たちは大阪湾沿岸を和歌山に向かって兵をいったん下げ、反撃しようとしたのですがその途中の茅渟の山城水門(山井水門)までやってきたとき、五瀬命が戦いで負った矢の傷の痛みに耐えかね、剣をつかんで「…的に報いることなく手傷を負って死ぬとは残念で極まりない…」と雄々しく叫び、後世の人々は、この地を「雄水門」(男之水門)と呼ぶようになったという記述があります。

この「山之井遺跡」の碑はこの伝承を伝える地として、一九七二年に竹中千代松氏によって建立され、都市計画道路樽井男里線の建設に伴い、この地に移設されたももです。




▲ 場所はココです (クリックすると拡大します)。



▲ 草や木が生い茂った記念碑。