- 地車談話 feat. 東鳥取四地区の由縁 -
- 2009/4/4 -






地車談話 feat. 東鳥取四地区の由縁

波太神社宮入りは昔、基本的に神輿の組合せで宮入りもしてたそうです。@石田宮本+桑畑、A黒田+下出、B鳥取中+和泉鳥取+山中渓、@ABの組合わせ。でも昭和27年以降桑畑が曳行中止、下出は昭和38年にやぐらを売却、そして和泉鳥取は昭和50年代前半まで、山中渓は平成4年まで宮入りをしてなかったので@ABが1台ずつでした。一方東鳥取地区でも自然田は3台が宮入りする状況、じゃあ@石田宮本,A黒田,B鳥取中が一緒に宮入りしようと言う発想で集まったのが今の東鳥取四地区です。でもその後、昭和50年代前半に和泉鳥取が宮入りを再開、昭和61年には下出がやぐら復活と同時に宮入りを再開、数年間は5台で宮入りをしてましたが、平成5年の山中渓宮入り再開時に現在の様なT石田宮本+黒田+下出、U鳥取中+和泉鳥取+山中渓となりました。しかしながらところ曳き時は石田宮本と鳥取中との繋がり、そして昔の石田宮本+黒田+鳥取中の歴史の繋がり故に、今でも東鳥取四地区として曳行してます。