はたじんじゃ
波太神社






九枚笹


左三ツ巴
【主祭神】
・角凝命 (つのこりのみこと)
【相殿神】
・応神天皇[品陀別命] (ほんだわけのみこと)
【末社】
・三社神社 御祭神:神功皇后 (じんぐうこうごう)
        御祭神:武内宿禰 (たけのうちのすくね)
        御祭神:天湯河棚命 (あめのゆかわたなのみこと)
・山神社   御祭神:大山祇命 (おおやまづみのみこと)
・門前社   御祭神:豊磐門戸命 (とよいわまどのみこと)
        御祭神:櫛磐門戸命 (くしいわまどのみこと)
・厳島神社 御祭神:市杵嶋比売命 (いちきしまひめのみこと)
        御祭神:国常立命 (くにのとこたちのみこと)

・所在地 阪南市石田167
・例祭 10月第二日・第三月曜日
・宮入やぐら 石田宮本・貝掛・西鳥取上組・榮組・波有手組・新町・黒田・
下出・鳥取中・和泉鳥取・山中渓・自然田上組・自然田東組・
自然田上東組・相生町・朝日町・大西町・尾崎宮本町




鳥取の地名について日本書記には『垂仁天皇の大皇太子誉津別王は30歳になってもモノを言わなかった。垂仁23年10月、鵠(クグイ・白鳥の事)が空を飛ぶのを見て、皇子は初めて「これ何者ぞ?」と言った。これを聞いて天皇は大いに喜び、その鳥を獲えるように臣下に命じ、天湯河板挙が「臣が必ず獲えましょう」と言い、遠く出雲の国まで行ってこの鳥を捕え、そのために皇子はモノを言う様になり、天皇は天湯河板挙に鳥取造の姓を与え賞し、鳥取部と定めた』とある。同様の伝承は古事記にも見られる。この様ないわれのある鳥取は昔、律令制度が敷かれており荘園=鳥取ノ荘となった。

その際に鳥取郷一円の氏神で鳥取部の祖となった天湯河板挙はその功績によって鳥取造と土地鳥取郷を賜った時に桑畑村の池に祭神:角凝命(ツノコリノミコト)をまつったのが始まりで「波太」とは畑村(現在の桑畑)の地名から起こったとされています。正確な創建の年代はわかりませんが、延長元年(923年)に完成した「延喜式」と言う当時の政治に関する規律を記した書物には、鳥取郷の総社として記載がみられることから、その当時には既に創建されていたようです。また貝掛にある指出森神社を合祀した時期は、永徳年中(1381年-1383年/南北朝時代)との事です。以前は波太神社の事を鳥取大宮または波太八幡宮と呼ばれていました。鳥取大宮は鳥取郷の総社である事により、また波太八幡宮の呼称は指出森神社の祭神を相殿に祀る事から生じたと言われています。

桑畑から現在の地に移されたのはいつかは解っていませんが、現在は大阪府阪南市石田167番地にあり、鳥居の手前に馬場先(踊り場)があり、その鳥居をくぐって左に村内各社を合祀した鳥取神社(鳥取戎神社)、右に市杵島神社があります。そこからしばらくは参道がまっすぐに続き、蓮池にそそぐ小さな川に太鼓橋が架かっており、それをこえると石の階段があります。その正面右階上に伽蓋式拝殿、その奥に波太宮(角凝命)・八幡宮(応神天皇)の両神をまつる本殿、南側に左から武内宿禰(若宮)・神功皇后(王太神)・天湯河板擧命(今宮)の末社三神社をまつる南殿、東社務所の隣に舞拝殿があります。

波太神社は延喜式の古社であり、本殿には三つの間があり右手に波太宮(角凝命)、左手に八幡宮(応神天皇)が祭られ、中央に設けられているのは「相の間」で、二柱の神を合わせて祀る場合その間に設ける間のことです。このように三つの間が設けられているものを「三間社」といいます。なお本殿は寛永15年(1638年)に建てられた事が、棟木に打ち付けられた木札に記されています。

この波太神社は延喜式神名帳の、日根郡十座中にあり「和泉国神名帳」にも日根郡19社の中に正四位下波太社とあって、古代からの由緒ある神社であることが窺がえる。何回もの兵火によって焼失しましたが、慶長年間に豊臣秀頼が再建し、寛永15年(1638年)に本格的に建造され今日に至っています。また明治維新後の神仏分離によって神光寺が廃寺となり明治5年に郷社、明治40年1月に神撰幣帛料供進社になりました。本殿-春日造,桁行4間,梁行2間半,9坪,檜皮葺。

また波太神社での往古の祭礼は2月と6月の初午の日に行われたので午祭と称し、2月の初午には貝掛の指出森神社へ御神輿の渡御があった。これには貝掛から甲胄姿の武者が出迎えると言う特色がありました。また6月の初午は各地区のやぐらが曳行され、俗に「石田の血祭り」と言われていた。この6月の初午が現在の10月の秋祭りのはじまりである。

「信長公記」によれば、天正5年(1577年)には織田信長の紀州雑賀攻めの時、本陣がおかれたという記述があります。所蔵品には大阪府指定有形文化財「三十六歌仙扁額」があります。これは宮延絵師である土佐光成の作によるもので、元禄年間(1700年前後)の作です。本殿の前にある石燈籠は慶長5(1600)年の銘があり、豊臣家の重臣片桐且元が寄贈したものと伝えられてます。

波太神社は「三間社流造」という江戸時代初期の特徴が残されている点、また本殿と末社が揃っている点等から平成5年(1993年)12月9日に国の重要文化財に指定されました。



● 年間行事
1月1日
2月11日
4月15日
6月29日
6月30日
10月第2日曜日
10月第2月曜日
11月23日
12月31日
− 歳旦祭
− 祈年祭
− 例大祭
− 茅輪神事
− 夏越大祓
− 宵宮(やぐら宮入り)
− 本宮(神輿渡御)
− 新嘗祭
− 大晦大祓














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