おのじんじゃ
男神社






入レ込ミ抱キ茗荷
【御祭神】
・彦五瀬命 (ひこいつせのみこと)[皇兄]
・神日本磐余彦命 (かむやまといわれひこのみこと)[神武天皇]
【相殿神】
・天児屋根命 (あまのこやねのみこと)
・熊野速玉神 (くまのはやたまのかみ)
【末社】
・若宮事代主神 (わかみやことしろぬしのかみ)
【摂社】
・浜宮彦五瀬命 (はまみやひこいつせのみこと)

・所在地 泉南市男里3丁目16番1号
・例祭 10月第二土・日曜日
・宮入やぐら 男里北組・男里南組



元府社男神社は大阪府泉南市男里即ち古への呼唹郷の地である延喜式内神社で、本殿には彦五瀬命、神日本磐命彦命を祀り、相殿には天児屋根命、熊野速玉神を祀る。境内一万五千平方メートル(五千坪余)老樹欝蒼として幽邃絶塵の神域をなしている。その北方一キロ余の処に攝社浜宮がある。本社の元宮で境内九千平方メートル(3000坪)松樹茂って海風に鳴っている。聖蹟雄水門は即ち此の地である。神武天皇御東遷の砌孔舎御坂で長髄彦と激戦した。此時、皇兄彦五瀬命が賊の流矢に中って肱脛に瘡を負はせられ「吾は日神の御子として日に向ひて戦ふこと良はず、故れ賤奴が痛手をなも負ひつる、今よりはも行き廻りて日を背負ひてこそ撃ちてめ」と仰せられた。よって血沼の海即ち今の大阪湾を南進し紀伊に向わせられよとして、紀元前三年五月八日(太陽暦六月二十日)此の地に着き給ふたが、彦五瀬の御瘡いよいよ重らせられた命は劒の柄を堅く握られ「慨哉大丈夫にして被傷於虜手報いずして死なむや」と雄詰び給ふた。よって此の地を雄水門といふ。

即ち彦五瀬命、雄詰の遺蹟雄水門、今の浜宮の地に、命と神武天皇の御神霊を祀ったのが当地で社伝によれば貞観元年三月、今の地に御遷座し奉ったという毎年十月十一日の例祭には本社より聖蹟雄水門の地神輿渡御の儀が行はれる。明治七年七月、畏き辺りより幣帛料を下賜せら給ふた。




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