貝掛の宮入パターンは非常に複雑であり、貝掛は指出森神社・波太神社と2つの神社があり、また箱作東には菅原神社、箱作西には加茂神社があるため4つの神社へ宮入りする事ができるのです。そもそも昭和57年までは1日目の10月10日に菅原神社・加茂神社へ、2日目の10月11日に指出森神社へ宮入りするパターンで、波太神社には宮入しませんでした。昭和58年には箱作東がやぐらを大修復したため10月10日,11日の両日宮入りしました。昭和59年以降は再び1日目の10月10日に菅原神社・加茂神社へ、2日目の10月11日に指出森神社へ宮入りするパターンでした。昭和60年には貝掛のやぐらが大修復したのを期に波太神社への宮入を再開しました。昭和62年は波太神社の宮入が最後だったため菅原神社・加茂神社への宮入は2日目の10月11日に指出森神社も含めて3神社へまとめて宮入しました。翌昭和63年は昭和天皇が御病気のため自粛ムードが広がりましたが、箱作西が新調した記念に加茂神社へだけ宮入りしました。なお波太神社への宮入は各地区とも自粛しました。その後平成元年からは「宮当番」と言う制度を採用し、菅原神社・指出森神社・加茂神社へ順番に宮入する制度になり現在に至っています。下記に年代ごとの宮入の表を掲載しています。
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