その他
御神輿



(「絆」管理人:まさ様御撮影・御提供)



波太神社において秋祭り1日目のやぐら宮入りは"宵宮"に当たり、秋祭り2日目の御神輿渡御が"本宮"に当たります。御神輿渡御は波太神社へ宮入りするやぐら18町の中、貝掛を除く17町と桑畑が加わった18町で8年に1度、下記の表の順番で御神輿渡御がまわってきます。

 ・石田宮本,桑畑
 ・自然田上組,自然田東組,自然田上東組
 ・黒田,下出
 ・鳥取中,和泉鳥取,山中渓
 ・相生町,朝日町
 ・大西町,尾崎宮本町
 ・西鳥取上組,榮組,波有手組
 ・新町



波太神社の御神輿は3基あり1基は本神輿(大工:貴田福雄師)、2基は暴れ神輿と呼ばれています。



▲ 本神輿。



▲ 暴れ神輿。



御神輿渡御は早朝から波太神社の御神輿庫から御神輿を出し、ナルを取り付けます。準備を終えた御神輿は天狗姿の人を先頭に波太神社を出発し一路、御旅所である海老野の浜へ向かいます。海老野の浜では海の中へ入ると言うのが阪南市の御神輿の特徴でもあり、見所とも言えるでしょう。以下に御神輿渡御の様子を御紹介します。 (写真提供:Y.T.氏)



▲ 波太神社拝殿前に御神輿が据えられてます。



▲ 天狗の方を先頭に御旅所(海老野の浜)へ向かいます。



▲ まずは本神輿が出発します。



▲ 次いで暴れ神輿が出発します。



▲ もう一基の暴れ神輿も出発します。



▲ 参道を進む三基の御神輿。



▲ 御旅所(海老野の浜)に到着。



▲ いよいよ海へ向かいます。



▲ 三基が次々と海へ入ります。



▲ 海の中で担がれる本神輿。



▲ 暴れ神輿も海の中で担がれてます。



▲ 近年ではカメラマンが沢山撮影に来られます。



▲ 帰路、8年に一度自町に御神輿を渡御します。




▲ 波太神社から御旅所(海老野の浜)までの地図。
(上記画像をクリックすると、拡大画像になります)



以前、新町関係者様より平成12年の御神輿渡御の予定表を頂戴しましたので下へ掲載しておきます。

 ・4時00分 ― 新町集合、波太神社へ出発。到着後御神輿の準備。
 ・8時30分 ― 神幸祭祭典。
 ・9時過ぎ ― 波太神社出発、尾崎方面へ降りていく。
 ・10時15分 ― 田中外科付近にて休憩。
 ・11時00分 ― 阪南市役所前にて昼食。
 ・12時00分 ― 海老野の浜入り。
 ・14時00分 ― 海老野の浜出発。
 ・14時45分 ― 田中外科付近にて休憩。
 ・15時30分 ― 波太神社着。



● 御神輿担当地区の変遷
・平成5年 − 石田宮本,桑畑
・平成6年 − 自然田上組,自然田東組,自然田上東組
・平成7年 − 黒田,下出
・平成8年 − 鳥取中,和泉鳥取,山中渓
・平成9年 − 相生町,朝日町
・平成10年 − 大西町,尾崎宮本町
・平成11年 − 西鳥取上組,榮組,波有手組
・平成12年 − 新町
・平成13年 − 石田宮本,桑畑
・平成14年 − 自然田上組,自然田東組,自然田上東組
・平成15年 − 黒田,下出
・平成16年 − 鳥取中,和泉鳥取,山中渓
・平成17年 − 大西町,尾崎宮本町
・平成18年 − 相生町,朝日町
・平成19年 − 西鳥取上組,榮組,波有手組
・平成20年 − 新町
・平成21年 − 石田宮本,桑畑
・平成22年 − 自然田上組,自然田東組,自然田上東組
・平成23年 − 黒田,下出
・平成24年 − 鳥取中,和泉鳥取,山中渓
・平成25年 − 相生町,朝日町
・平成26年 − 大西町,尾崎宮本町







さていにしえの御神輿についても少しだけ触れておこうと思います。ただ、昔の御神輿の内容なのでほとんど文献等も残されてなく、限られた情報の中で私の推測等も混じってる事を御了承下さい。

阪南町史には次の通り、御神輿についての記述が掲載されてます。「和泉地方における山手方面の神社の祭礼にみられるように波太神社の2月の初午の日の祭礼にもかつては神輿の浜渡御(神輿の浜下り)がみられたようである。神輿は3台、うち1台は本神輿、2台は暴れ神輿で順路は石田の波太神社→桑畑(奥之宮の所在地)→山を越え→貝掛の指出森神社、玉津浦で甲胄姿の武者の出迎え→波有手(鳥取)の踏抜神社(戎さん)→尾崎の海老野(ここで潮をかく)→三本松の御旅所(休憩所)→石田の波太神社へ還御という順路となっていた (阪南町史・上巻p.505)」。




(上記画像をクリックすると、拡大画像になります)



御存知の通り、波太神社は角凝命(波太宮)と指出森神社の祭神であった応神天皇(八幡宮)が合祀した神社であります。年に一度、応神天皇がかつて鎮座していた指出森神社へ戻ると言う意味で、御神輿渡御が行われていたのではないかと推測されます。玉津浦で甲胄(カッチュウ)姿の武者の出迎えとありますが、甲胄姿の武者が変化し、今で言う天狗のおめんを被った方が先導する形に変わったのではないかと推測されます。この推測通りならば、現在でも貝掛のみが御神輿渡御を行わない理由と通じるからです。まぁ〜、あくまでも推測の範囲ですが…。




▲ 波太神社。



▲ 指出森神社。



前述の阪南町史の地名を見てみると、桑畑はかつて波太神社が鎮座していた場所、玉津浦・波有手の踏抜神社は不明、海老野は現在でも御神輿の御旅所として御神輿渡御でやって来ます。三本松はバス停で黒田内にあるのでその場所を示すと思われ、色々謂れがある場所を経由して御神輿渡御が行われていた様です。最初に触れましたが、いにしえの事なのであくまでも推測が多々あります点を御了承下さいませ。