やぐらについての概要




「やぐら」とは阪南市を含む泉州地域(阪南市・泉南市・岬町・泉佐野市の一部・田尻町の一部)で秋祭りの際に曳行される山車の総称である。現在51台ものやぐらが各地で曳行されている。このやぐらを説明すると、祇園祭で曳かれる山鉾に似てて、岸和田祭で曳かれるだんじりの二輪版って感じですが、これじゃあ余りにも説明不足なので、そう少し詳しく説明しようと思う。

さて、このやぐらの詳細を触れる前にまずは前述の祇園祭の「山鉾」、そして岸和田祭の「だんじり」について軽く触れてみようと思う。







 祇園祭について



祇園祭は全国の祭りの発祥の祭りとも言われておりその歴史は平安時代貞観11年/869年、都に疫病が流行した時、その退散を願って御霊会を始めたのが起源と言われており、天禄元年/970年からは毎年行われる様になりました。以来、祇園御霊会すなわち祇園祭はさまさまな変遷を重ね南北朝時代の14世紀には現在の山鉾の原型ができたと言われています。

室町時代には山鉾の数も増え、また趣向を凝らした立派な山鉾になりましたが京都を焼き野原にした応仁の乱で祇園祭は一時中断。しかし応仁の乱後20年余り過ぎた明応9年/1500年に山鉾を復活させ安土桃山時代から江戸時代初期にかけて海外貿易によって町衆も繁栄していった結果、山鉾はさまざまな装飾品を飾った立派な山鉾になって現在に至ってます。

現在では毎年7月1日から一連の祇園祭が始まり前祭として7月17日には23台の山鉾、7月24日には後祭として11台の山鉾が巡行します。また八坂神社の三基の御神輿によって7月17日に神幸祭、7月24日に還幸祭が行われます。

この山鉾巡行の一番の見せ場が「辻廻し」と言われる、交差点を90度廻す様子。祇園祭でも「廻す」と言うのが1つのポイントとなります。


宵山の四条通り

生稚児による注連縄切り

前祭の山鉾巡行

後祭の山鉾巡行







 岸和田祭について



そもそも全国の祭りの発祥は祇園祭ですが、岸和田祭の山車である"だんじり"は、京都→大阪→堺→泉大津→岸和田と伝わったと言われてます。

この岸和田だんじり祭の起源は定かではありませんが一般に言われているのは元禄16年/1703年、岸和田藩主岡部長泰公が京都伏見稲荷を岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈念した稲荷祭がその起源であり、年に一度城下町の人々を城に招待したと言われています。古くは獅子舞や相撲、俄芸等が行われましたが、天神祭を含む大阪の祭りの影響を受け、次第に長持に太鼓をのせ、綱をつないで引っ張った山車を曳く様になりました。この山車は祇園祭を発祥とした山車であり、現在のだんじりにつながってると言われています。

現在では、泉佐野市・田尻町以北の各地にだんじりがあり、特に全国的に有名な岸和田市・旧市地区には22台ものだんじりが曳行され、毎年敬老の日の前の土曜日・日曜日に祭禮が行われてます。

ちなみにだんじりの見せ場は「やり廻し」、交差点を勢いよく90度廻す様子。ココでも「廻す」と言うのが1つのポイントとなります。


京都から岸和田までの地図

岸和田城

やり廻し

岸和田城城入り








 やぐらについて



さて本題のやぐらについて、やぐらも祇園祭を発祥としていますがやぐらは京都→奈良→和歌山→泉州地方と伝わったと言われてます。奈良・和歌山の間はまだだんじりの形を残していましたが、紀伊山脈を越えたあたりで四輪から二輪になったと言われています。なぜ二輪かと言うと坂道が多い地形なので曳きやすい二輪のやぐらになったと言われています。今では阪南市・泉南市・岬町・泉佐野市と田尻町の一部に51台ものやぐらが存在しています。

和歌山大学の吉村旭輝准教授の「泉南地域の文化的境界把握のための試論 樫井川・田尻川における祭礼形態の違いを中心として」によれば江戸時代、田尻川の北側が岸和田藩、南側がおおむね天領と呼ばれる幕府領だったことから北側のだんじり、南側のやぐらと祭禮形態が異なった歴史が判明しました。

この様な歴史のあるやぐらは江戸時代後半の天保期(1830年−1844年)に誕生したと言われています。だんじりと同じく大屋根・子屋根を有していますが大きな違いはやぐらは駒が二輪だと言う点です。しかも直径約2mの大きな駒です。

まただんじりは大工方が屋根に乗っていますがやぐらは屋根には乗りません。なぜならやぐらは上下左右に大きく揺らすからです。これもやぐらの大きな特徴です。まただんじりには前梃子がありますが、やぐらには前梃子はなく梶台と言ってやぐら本体に伸びた木があり、それを使って梶をとります。まただんじりの土呂幕部分が本幕であったり太鼓が後ろにあるというのも特徴です。

前述の祇園祭の「辻廻し」、岸和田祭の「やり廻し」とありますがやぐらでも「まわす」事をします。ただし地域によって広場をまわす形式や一方の駒を軸にまわす形式等さまざまで私は個人的に前者を「円まっせー」、後者を「点まっせー」と勝手に呼んでいます。


京都から阪南までの地図

やぐらとだんじり

円まっせー

点まっせー







 阪南市のやぐらについて



波太神社には阪南市のやぐらについての文献があり昔は旧暦の2月と6月の丑の日に祭りを行っていたので「丑祭り」と称し、旧暦2月の初丑には貝掛の指出森神社へ神輿渡御があり、その際に貝掛から甲冑姿の武者が出迎える慣わしがありました。

一方、旧暦6月の祭りには波太神社にやぐらを曳き入れ五穀豊穣を祝いながらやぐらを曳いていたそうで「石田の血祭り」「喧嘩祭り」と言われたそうです。大昔の波太神社の祭礼は祭礼日前日にやぐらが波太神社の境内に一同に集まり夜通し祝い、日付が変わると宮入りして神様をやぐら内部に迎え入れ、村に持ち帰ってから祝う祭りだったそうです。しかし夜に行っていた荒々しい喧嘩や死人の絶えなかった祭りは藩から祭礼日改正を求められ、秋祭りとして五穀豊穣を祝う昼中心の祭りに変更されました。変更されても祭礼の始まりは宮入りで、宮入りをして神様を地区に迎え入れてからでないと地区内での曳行はできませんでした。現在でも宮入りが遅いと曳き出し時間を遅らせる地区があるのはこの名残があるためです。

さて現在は後宮に行っている御輿渡御は、本来は旧暦2月に行われていましたが年に二度も大きな祭礼があるのは具合が悪いと藩から祭礼日改定の達しが出、やぐらの曳行の次の日に行うこととなりました。でも遅い時間に宮入りするやぐらの地区もあり、また御輿の渡御に係わる地区もあることで、1日目だけでは地区内でのやぐらの曳行が十分にできない場合があるので、また近隣の地区はだんじりを2日間曳いていることもあり2日目にもやぐらの曳行をするようになりました。

波太神社は神輿渡御が例大祭であり1日目を「宵宮」、2日目を「本宮」と呼びますがやぐら曳行を中心と考えると1日目が「本宮」、2日目が「後宮」と呼ばれます。

やぐらの数もかつては40台から50台ありましたが、大正時代には20台余り、昭和5年21台、昭和33年には18台と減少しました。しかしながら昭和61年に下出が復活、平成8年に相生町も復活して今では阪南市内20台のやぐらが曳行されています。下記に40台から50台のやぐらが20台へ集約した歴史をまとめてみました。

◆ 下荘地区
貝掛 貝掛
箱作東 箱作東
箱作西 箱作西
◆ 西鳥取地区
鳥取・東出 西鳥取上組
鳥取・上出
鳥取・北出 榮組
鳥取・中出
鳥取・出島 波有手組
鳥取・西出
鳥取・南出
鳥取・本 不明???
新町・北(北出) 新町
新町・中(中出)
新町・西(川向)
◆ 東鳥取四地区
石田宮本・上 石田宮本
石田宮本・下
黒田・上 黒田
黒田・下
黒田・村
下出3台 下出
鳥取中2台 鳥取中
桑畑・上 やぐら無し
桑畑・下
◆ 東鳥取五地区
和泉鳥取2台 和泉鳥取
山中渓3台 山中渓
自然田・寺脇 自然田上組
自然田東組
自然田上東組
自然田・芝
自然田・上出
自然田・南
自然田・東野
◆ 尾崎地区
尾崎・相生2〜3台 相生町
尾崎・北出 朝日町
尾崎・海老野 大西町
尾崎・西出
尾崎・天王町 尾崎宮本町
尾崎・本町
尾崎・南出 不明???
尾崎・福島 やぐら無し







 祭禮日程について



もともと阪南市の祭禮は「体育の日」を中心に日程が決まっていました。ちなみに「体育の日」とは、昭和39年10月10日の東京オリンピック開会式の日を昭和41年から国民の祝日として10月10日を「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」事を趣旨として制定された日です。令和2年からは「スポーツの日」に改称されました。

ところで確信はありませんが私が生まれる前には祭禮は三日間行われてたと聞いた事があります。一日目は試験曳き、二日目は本宮、三日目は後宮。この歴史はいつまで続いたかは不明です。

さて私の記憶のある範囲では10月9日が試験曳き、「体育の日」の10月10日が本宮、10月11日が後宮で本宮の日に箱作東,箱作西を除く18町は波太神社へ宮入します。

平成12年に「ハッピーマンデー制度」が適用され今までの10月10日が体育の日だった祝日法が10月第2月曜日が体育の日へと変更されました。阪南市の祭りも平成12年を期に10月第2月曜日「体育の日」を後宮、その前日を本宮と変更されました。つまり毎年祭禮の日程が変わると言う妙な現象も起こりました。

平成14年以降に開催されている「阪南市やぐらパレード」は本宮の1週前の日曜日に行われてます。何故なら、遠方地から阪南市役所前まで来る町の曳行時間確保のために、あえて1週前にパレードを開催します。

現在では、下記の7パターンのいずれかに該当します。

パターン1
30 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
パターン2
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
パターン3
2 3 4 5 5 7 8
9 10 11 12 13 14 14
パターン4
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
パターン5
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
パターン6
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
パターン7
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19








 波太神社宮入について



続いて波太神社宮入りについて。本宮の日に箱作東,箱作西を除く18台のやぐらが波太神社へ宮入します。波太神社宮入りに関しては8時から17時まで9時間にわたって18台のやぐらが宮入りします。各町〆縄を入る時間から境内を出る時間の持ち時間が30分ごと振り分けられていますが三町から五町が連合して曳行するので、実際は2時間前後の持ち時間があります。

波太神社ではまず馬場先を時計まわりにやぐらをまわす、いわゆる「まっせー」します。そして鳥居をくぐり参道を駆け七段の階段を駆け上がる、いわゆる「宮上がり」をし拝殿へ参拝します。近年、拝殿前では宮入りを祝し連合班でイベントを行うのが主流となりつつあります。

宮入りの連合班はおおむね神輿渡御の班を踏襲したかたちになっています。時間に関しては旧南海町班(貝掛及び旧西鳥取・尾崎地区)と旧東鳥取班が毎年午前・午後と入れ替わり、その中で下記五班が入れ替わるといった形態をとってます。

● 旧南海町班
 ・貝掛、新町、西鳥取上組、榮組、波有手組
 ・相生町、朝日町、大西町、尾崎宮本町
● 旧東鳥取町班
 ・石田宮本、黒田、下出
 ・鳥取中、和泉鳥取、山中渓
 ・自然田上組、自然田東組、自然田上東組


2時間前後、馬場先を「まっせー」します。

鳥居をくぐり、参道を駆け抜けます。

七段の階段を「宮上がり」します。

宮上がりを終えやぐらをしこります。








 神輿渡御について



本宮にはやぐらが波太神社へ宮入しますが後宮には神輿渡御が行われます。神輿渡御には波太神社へ宮入する18町の中、貝掛を除く17町と桑畑が加わった18町で8年に1度、神輿渡御を行います。神輿渡御は御神体が乗る本神輿(鳳神輿)と暴れ神輿(鳥神輿・玉神輿)の三基が波太神社から海老野まで渡御します。

当日、早朝からナルを組み波太神社にて神幸祭を実施、海老野にて御旅所祭を実施、最後に波太神社にて還御祭を実施します。町によりますが海老野では神輿が海に入る光景を見る事ができ、担ぎ手が実際に海へ入るのは非常に珍しいそうです。

神輿渡御の班
・石田宮本・桑畑
・自然田上組・自然田東組・自然田上東組
・黒田・下出
・鳥取中・和泉鳥取・山中渓
・相生町・朝日町
・大西町・尾崎宮本町
・西鳥取上組・榮組・波有手組
・新町


波太神社にて神幸祭

三基で練り合わせ

神輿渡御

海老野にて御旅所祭

海入り







 下荘地区の宮当番について



下荘地区には貝掛には指出森神社、箱作西には加茂神社、箱作東には菅原神社が鎮座しており3台のやぐらが揃って各神社へ宮入りします。昔は1日目に菅原神社・加茂神社へ宮入り、2日目に指出森神社へ宮入りしていましたが昭和63年、昭和天皇がご病気で自粛ムードの中、この年やぐらを新調した箱作西の加茂神社へのみ宮入りを行いました。

以降、いわゆる「宮当番」制度が始まり2日目の夕方、加茂神社、菅原神社、指出森神社の順で下荘地区のやぐらが宮入りします。他町の神社へ宮入りする習わしはとても珍しく、下荘地区独自の習わしかと思います。


指出森神社

加茂神社

菅原神社







 阪南市やぐらパレードについて



最後に、阪南市やぐらパレードについて。そもそもの全町パレードは平成3年10月6日日曜日に行われた阪南市・市制施行記念やぐらパレード、その後下荘地区をのぞいたパレードが行われましたが平成13年、阪南市・市制施行10周年記念やぐらパレードで全20台が集まりパレードを開催、以降継続開催しています。残念ながら平成27年以降、西鳥取上組はパレード不参加、現在は19町がパレードに参加しています。

開会式会場である阪南市役所に全19台が集まり開会式を実施後、19時までパレードします。平成20年までは尾崎駅前コースと郵便局前コースでしたが平成21年以降は笠松産婦人科前コースとマンダイ前コースに変更になりました。夕刻からは提燈に明かりが点され、燈入れ曳行を行います。

このパレード開催の準備として春頃から事務局、評議会、実行委員会、青年団幹事会等の寄合が実施されます。特に6月頃に行われる実行委員会で各町青年団団長によるくじ引きで、開会式への入場順が決定されます。

なお、阪南市やぐらパレードの概要は下記の通りです。

・15時30分 − 開会式会場(阪南市役所前)に入場
・16時00分 − 開会式開始
・16時20分 − パレード開始
・19時00分 − 流れ解散


▲ パレードコースに入場

▲ 開会式では阪南市役所前に19台が並びます

▲ パレード開始

▲ 夕方になると燈入れ曳行が行われます

▲ パレードコース