- 史跡散策 feat. 真田庵 -
- 2016/6/12 -






平成18年12月18日から始めた当ブログ、今年12月18日で公開10周年を迎える当ブログ、そして通算2,222回目の書き込みを本日迎えた当ブログ。ゾロ目のめでたい書き込みを何にしようか悩んだ結果、毎週日曜日20時から放送されているNHK大河ドラマ「真田丸」がマイブームで毎週楽しみにしておる中、真田幸村が慶長5年/1600年から慶長19年/1914年まで蟄居していた真田庵へ足を運んできたのでこの記念すべき書き込みを「史跡散策」と題して真田庵、並びに九度山真田ミュージアムを御紹介しようと思います。真田幸村はやぐらの彫物にも度々出てくる武将で、当ブログでも彫物研究と題して真田幸村を御紹介した事もあります。その前にまずは真田幸村について。



真田幸村(サナダユキムラ) 永禄10年/1567年−慶長20年/1615年5月7日

時代:戦国時代−江戸時代前期
別名:弁丸(幼名)、真田信繁、好白(法名)
主君:上杉景勝→豊臣秀吉→豊臣秀頼

真田幸村は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男として生まれ上杉景勝、羽柴(豊臣)秀吉の人質になる。慶長5年/1600年、関ヶ原の戦いで西軍(石田光成)に味方するが敗北し真田昌幸とともに高野山に蟄居を命ぜられる。慶長16年/1611年、真田昌幸没す。慶長19年/1914年、九度山を脱出し大坂冬の陣で真田丸を築き徳川軍に大打撃を与える。慶長20年/1615年、大坂夏の陣で3500の兵を持って徳川家康の本陣に突撃するが討死。享年49歳。























































続いて九度山真田ミュージアムへ行きました。








































最後に九度山にある道の駅、並びに「真田丸」で盛り上がる九度山界隈の点景です。