かいかけ (下荘地区) |
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昭和6年新調 |
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● 地名「貝掛」の由来 貝掛とは昔、盗人が葛城村神於寺の宝物である法螺貝を持ち出して当地を過ぎる時、吹きもしない法螺貝が勝手に鳴るので恐れをなして貝を松に掛けて去ったという貝掛松の伝説によります。その貝掛松は明治29年5月の大風に倒れて、今はそこへ石碑が建立されています。 |
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● 先代のやぐら 先代のやぐらは若い衆が新調を願って釈迦坊川の橋の上から落として砕けてしまい、彫物は当時の各家庭へ配ったと伝えられてます。 |
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● 現在のやぐら 現在のやぐらは昭和6年に大工:森下小一師(箱作西在住)、彫師:高松一門(淡路島の彫師で貝掛へ住み込んで製作)によって新調。昭和35年より曳行休止するが昭和46年に曳行再開。昭和60年、令和5年に武輪建設によって大修復。また提灯は白地に赤の文字で「貝掛」という文字です。 |
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● 曳かれなかったやぐら (先代・六尾のやぐら) 昭和35年の波太神社馬場先での事故以降、やぐらが曳行中止となったため駒を信達六尾へ売却。昭和46年に再び曳行する事になったが駒がないので当時既に曳行していなかった六尾へ再び駒を買い戻しに行った処、駒だけではなく先代・六尾のやぐら本体と本幕も一緒に買ってくれとの事で本体・駒・本幕を一括で購入し指出森神社境内の倉庫に本体を保存していましたが昭和58年にこのやぐらを波有手組に売却しました。つまり昭和46年から昭和58年までは曳かないやぐらもあったと言う事になります。 |
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● 彫物図柄解説 【大屋根廻り】 ・鬼板 − 獅噛み ・箱棟 − 雲龍 ・懸魚 − 正面:鳳凰、 後面:雲に鶴 ・飛檐垂木 − 獅子 ・地垂木 − 獅子 ・車板 − 正面:?、 後面:? ・小屋虹梁 − 雲海 ・枡組 − 龍,獅子,菊 【三手先六段】 ・枡合天井 − 雲海 ・枡合 − 正面:?、 右:牛若 弁慶五条大橋の出会い 【源平盛衰記】、 左:村上義光 錦の御旗奪還 【太平記】、 後面:楠公父子 桜井の別れ 【太平記】 ・木鼻 − 獅子 ・虹梁 − 菊に若葉 ・欄間 − 正面:吉良邸討入り 内蔵助陣太鼓を打つ 【忠臣蔵】、 右:清水一学の奮戦、 左:義士 吉良の家士と戦う ・長押 − 正面:波間に龍、 右:波濤、 左:波濤 ・柱巻 − 右:昇龍、 左:降龍 ・小脇板 − 右:?、 左:? ・御簾掛 − 昇り龍降り龍と指出森神社御神紋に貝若の文字 ・幕板 − 右:?、 左:? ・脇障子 − 右:?、 左:? ・兜桁 − 右:「貝」の文字、 左:「掛」の文字 【腰廻り】 ・犬勾欄 − 正面:瑞亀 ・内勾欄 − 阿吽の唐獅子 ・擬宝珠勾欄 − 勾欄合:波濤、 束:力神 ・板勾欄 − 正面右:勢子、 正面左:?、 右:?、 左:? ・縁葛 − 正面:牡丹に唐獅子、 右:雪だるま遊び、 左:雪だるま遊び 【唐子遊び】 【小屋根廻り】 ・鬼板 − 獅噛み ・箱棟 − 雲龍 ・懸魚 − 鷲の猿掴み ・飛檐垂木 − 獅子 ・地垂木 − 獅子 ・車板 − 戦遊び 【唐子遊び】 ・小屋虹梁 − 雲海 ・枡組 − 龍,獅子,菊 【三手先五段】 ・枡合天井 − 雲海 ・枡合 − 正面:櫻井の駅、 右:児島高徳 桜木に詩を詠む 【太平記】、 左:勢子 ・木鼻 − 獅子 ・虹梁 − 菊に若葉 ・欄間 − 右:上野介召捕り、 左:上野介召捕り 【忠臣蔵】 ・長押 − 波濤 ・柱巻 − 右:降龍、 左:昇龍 ・太鼓廻り − 波濤 ・幕板 − 右:加藤清正 虎退治、 左:隠岐次郎左衛門廣有 怪鳥退治 【太平記】 ・板勾欄 − 右:波間に玄武、 左:波間に玄武 ・縁葛 − 波濤 【本幕】 ・本幕 − 正面:竹に虎、 右:雲に阿龍、 左:雲に吽龍 |
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● 曳行パターン ・パレード − パレードの日は貝掛村中の久堀川付近にて箱作東,箱作西と合流、その後鳥取ノ荘駅上にて榮組,波有手組,新町と合流し6町でパレードに参加します。 ・本宮 − 本宮は西鳥取上組,榮組,波有手組,新町と一緒に波太神社へ宮入り、夜は箱作駅ロータリーで箱作東,箱作西と一緒にまっせーします。 ・後宮 − 後宮は午前から下荘地区青年團イベント「ザ・勝負やぐら」、箱作東の浜、下荘漁港へ曳行、夜は箱作東,箱作西と指出森神社,加茂神社,菅原神社の中の一社へ宮入りします。いわゆる「宮当番」です。その後箱作駅ロータリーで箱作東,箱作西と一緒にまっせーします。 |
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● 貝掛の略年表 ・昭和6年−やぐらを新調。 ・昭和32年−高島屋にて本幕を新調。 (後に六尾より譲受) ・昭和35年−波太神社馬場先にて曳行中大怪我をしてしまい、それ以後曳行休止となる。 ・昭和46年−やぐら曳行を再開。 ・昭和60年9月−やぐらを大修復、試験曳きを実施。 ・昭和60年9月−貝掛若中の法被を新調。(青地に裏面に貝の文字) ・昭和60年10月10日木曜日−数十年ぶりに波太神社へ宮入再開。 ・昭和61年10月−駒を新調。 ・昭和63年10月−ぶんすけ前にアーチを設置。 ・平成元年10月−やぐら部屋を新築。 ・平成2年10月−貝掛やぐら保存会の法被を新調。(黒地に裏面に貝の文字) ・平成2年11月12日月曜日−天皇陛下御即位の礼に伴いやぐらを曳行。 ・平成2年10月−指出森神社の境内を改築。 ・平成3年10月−貝掛若中の法被を新調。(黒地に裏面に貝の文字) ・平成3年10月−久堀川付近にアーチを設置。 ・平成3年10月−箱作駅前に御神燈の提灯櫓を設置。 ・平成3年10月6日日曜日−阪南市・市制施行記念やぐらパレードに参加。 ・平成5年6月−貝掛青年團結成。 ・平成5年6月−貝掛青年團の法被を新調。(白と黒地に裏面に貝の文字) ・平成5年6月9日水曜日−皇太子陛下御成婚の礼に伴いやぐらを曳行。 ・平成5年10月−箱作駅前にちょうちんロードを設置。(各地区50個x3町) ・平成7年10月−指出森神社境内にアーチを設置。 ・平成9年10月−貝遊会結成。 ・平成9年10月−箱作駅構内に貝掛、箱作東、箱作西各地区3個の提灯櫓を設置。 ・平成11年10月−全団体統一法被を新調。(白地に裏面に貝掛の文字) ・平成11年10月−貝遊会が若友会に名称変更。 ・平成11年10月−ぶんすけ前に若友会のアーチを設置。 ・平成13年2月24日土曜日−やぐら新調を問う住民投票を実施、賛成51票・反対73票・無効5票にて否決。 ・平成13年10月6日土曜日−阪南市・市制施行10周年記念パレードに参加。 (以後継続参加) ・平成14年9月−指出森神社境内に献燈の提灯を設置。 ・平成15年10月−提灯を「貝若」から「貝掛」に変更。 ・平成15年10月−纏を新調。 ・平成16年9月−正面の提灯を「やぐら保存会」「貝掛青年団」から「貝掛」へ変更。 ・平成16年9月19日日曜日−駒を新調、試験曳きを実施。 ・平成17年10月−若友会が若頭会へ名称変更。 ・平成18年10月8日日曜日−箱作駅前が使用不可となり、スカイタウンロード入口での"まっせー"となる。 ・平成20年10月12日日曜日−スカイタウンロード入口から箱作駅ロータリーでの"まっせー"となる。 ・平成21年10月−全団体統一法被を新調。(濃紺に裏面に松葉に貝掛の文字) ・平成21年10月−纏を修復。 ・平成22年10月−提燈をLED化。 ・平成28年9月4日日曜日−武輪建設によって駒を新調、試験曳きを実施。 ・平成28年−ぶんすけ前・久堀川・指出森神社のだてを新調。 ・令和2年−新型コロナウイルス感染症対策として曳行自粛。 ・令和3年−新型コロナウイルス感染症対策として曳行自粛。 ・令和4年10月16日日曜日−武輪建設へやぐらを搬出。 ・令和5年5月21日日曜日−武輪建設によってやぐらを大修復、中西美装店によって灰汁洗い、 阿部商店によって本幕を復元、御披露目曳行を実施。 |
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● その他の補足 貝掛のやぐらは地元の指出森神社と石田の波太神社の2社へ宮入する珍しいやぐらで、南北朝時代に波太神社を再建するに当たり、八幡宮を合祀したのがその由縁だと言われています。 |
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平成21年以降の貝掛のやぐらに関する詳細記録 昭和60年以降の貝掛のやぐら曳行に関する記録 昭和58年以降の貝掛のやぐら宮入に関する記録 貝掛のハッピの変遷 貝掛のうちわの変遷 |
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大修復前のやぐら。 昭和60年9月 − 大修復を実施。 平成2年11月12日 − 天皇陛下御即位の礼に伴いやぐらを曳行。 平成3年10月6日 − 阪南市・市制施行記念やぐらパレードに参加。 平成5年6月9日 − 皇太子陛下御成婚の礼に伴いやぐらを曳行。 平成15年10月 − 提燈のデザインを変更。 平成16年9月19日 − 駒を新調、試験曳きを実施。 平成28年9月4日 − 駒を新調、試験曳きを実施。 令和5年5月21日 − やぐらを大修復、灰汁洗い、本幕を復元、御披露目曳行を実施。 纏 修復前の纏 旧・町名旗 やぐら部屋 地名の由来である貝掛松跡の石碑 |
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